不登校新聞「不登校50年 証言プロジェクト」の記事が興味深い

まずは、こちらのYOMIURI ONLINEの記事を読んでみてください。

どの親も、どこを目指しているか、何に悩んでいるか、

何を基準に子育てをしているかというと

将来の「独り立ち」

どうやって、この子は飯を食べていくのだろう。

一言で言えば、こういったことじゃないかと思うんですよね。

昔は、農業や漁業、林業などの第一次産業が盛んで、

そういった仕事に従事している方が大半で

自分の子どもも、そのやり方を覚えてくれればそれで良いと思っていた。

だからこそ、親としても学校の重要性は必然的に低く、

子どもからしても、学校で授業についていけなかったり、運動音痴でも

「将来食べていけない」ということに直結していないということがわかっていたので

どことなく、子ども自身にもゆとりがある。

勉強ができない=自分には価値がない

という図式にはならなかった。

 

ところが時代がかわり、そうは言ってられなくなった。

社会が変わって、そこで求められる重要な要素として

コミュニケーション能力や相応の学力を求められるようになった。

企業が新卒社員に求める能力も、2016年度までの調査で

連続13年1位を記録しているのが「コミュニケーション能力」

 

社会人としてそれを地肌に感じている親は、当然それを求めるようになる。

何か突出した能力は確かに魅力的だが、

果たしてそれはオリンピックに行けるようなレベルのものなのか。

すぐにそういう判断で能力を見るようになる。

確かに足は速い。県内1位くらいにはなれるかもしれない。

けれど、それだけでは「食べていけない」

 

そうなると、親は「何にでもなれる準備」をさせたくなる。

何にでもなれるというのは、つまり、社会に求められやすい人材になるということ。

それはつまり、マジョリティの世界からはみ出さないということ。

それには、コミュニケーション能力と相応の学力が必要なのだ。

 

そういった考えからすると、不登校は完全なる悪だ。

全国の不登校出現率は、平均3%程度。不登校になると、

一気に社会の3%のマイノリティに格落ち。

これは親としては一大事。

 

学校に行ってほしい。行き続けてほしい。

それが親の本音になる。

それが、子どもには絶対伝わる。

いくら建前で、「辛かったら行かなくてもいい」と行っても

本当は、行ってくれたら、親の苦しみはなくなるとわかっている。

 

それが、今。この時代。

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