何に洗脳されるのかを決める。その準備が教育である。

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洗脳と聞いたら、聞こえが悪いかも知れませんが、そのままです。

「何に洗脳されるのかを決める。その準備が教育である(べき)」

そもそも、あらゆるものに洗脳されているのが人間です。

自分の基準で決めているようで、誰かに、何かに影響を受けている。

そのことにすら気づいていない。もちろん自分も含めて。

自分が大学生の時。就職活動で、とても気に入った企業があり最終選考まで行きました。

最終選考が終わった後に、人事の人から連絡があり、

「社長が一対一で会いたいと言っている」と伝えられたため

迷うことなく、会いに行きました。

そこで、自分が言われた言葉は

「お前は傷ついている」

という言葉でした。その一言をきっかけに、自分は就職活動をやめ

心理の道に行こうと決めました。

何も、社長の言葉に、怒ったわけでもなく、傷ついたわけでもありません。

自分がこの人について行っていいのかもわからないくらい、ちっぽけな存在だということに

気がついたからです。何も判断ができない。判断基準など、何も持ち合わせてないのだなと。

その時点の自分は、その社長がそう言うなら、そうだろうと。

2000人の従業員、そしてその家族を養っている社長がそう思うなら、そうだろうと。

判断基準は、自分になく、他者に委ねるしかなかった自分が

とてもちっぽけで、恐ろしくなったのでしょう。

 

コロナのニュースが連日流れています。

もうほとんどの県で、外出自粛が解かれています。

街には、多くの人が出歩いています。

けれど、みんなマスクをしています。

テレビを通して、みんな外出を自粛し、そしてマスクをつけ続ける。

すごいことだと思いました。

もちろん、会社や学校など、自分の属している組織にも言われているでしょう。

「外出を控えなさい」
「マスクをつけなさい」

そして、街を歩けば日に日に人が減り、マスクをつけていない人が少数派になっていく。

「あ、自分もちゃんと自粛して、マスクをしなきゃ」

そして、家でテレビを見て、コロナの恐ろしさを再認識する。

 

本当に恐ろしい世の中だと思います。

続く・・・

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