「学校命かけてまで・・・」岐阜市教育長の発言を考える

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「学校は命をかけてまで行く場所ではない」

今回、岐阜市教育長の言葉として取り上げられていますが、このような発言や考えをしている方は、この教育長に限ったことではないと思います。

以下は、朝日デジタルの記事を一部抜粋したものです。

 「学校は命をかけてまで行く所ではありません」――。9月、岐阜市の教育長、早川三根夫さん(65)はこう発言した。7月に市立中学3年の男子生徒が転落死し、自宅からいじめを示唆するメモが見つかっていた。発言の真意は何だったのか。学校のいじめ対策や、不登校の中学生のための「特例校」についても聞いた。

――なぜあの発言をしたのですか。

生徒が亡くなり、責任を感じています。もし同じように苦しんでいる子がいるとしたら、最悪の事態にならないように、教育長として言わなきゃいけない。

「班とか学級とか部活は狭い世界。君の世界は学校だけではない。もっと未来は広くて、君に開かれている」と。

朝日新聞デジタル11月22日の記事を一部抜粋

確かにその通りです。命をかけてまで行く場所なんて、学校に限らずあるわけないです。

このことを、大人が責任持ってしっかり伝えていくことは大事であることは言うまでもありません。

けれど、

「学校は命をかけてまで行く所ではないよ」

「勉強より、命の方が大事だよ」

「いじめられてるなら、学校なんて行かなくていいよ」

と子どもに伝えたら、子どもはどういう反応すると思いますか?

例えば、大人に置き換えた場合どうでしょうか。

「会社は命をかけて行く所ではないよ」

「仕事より、命の方が大事だよ」

「そんなに残業させられるブラック企業なら、そんな会社辞めたらいいよ」

と言われたら、みなさんなら、すんなりそのアドバイスを受け入れて

すぐに行動できるでしょうか。自分はできません。

そもそも、自分の限界なんて、自分ではわからないものです。

気づいたら、もういっぱいいっぱいで死のうとしていた。

普段の積み重ね+衝動性

ですよね。イメージとしては。

子どもは、大人よりもっと狭い世界で生きているわけなので

辛さと同時に、大部分の価値もそこにあるんですよね。

命は大事だよ、あなたは生きているだけで価値があるんだよ!

ということは、言葉だけでなく、実体験で感じさせる必要がありますよね。

勉強、部活、友人関係

こんな少ない尺度でしか、子どもを測っていないから

学校に過大な価値を置いてしまうわけです。

大人だったら

生産性

かな?まとめてしまうと。

多様なコミュニティでの多様な価値を提供していくことは、

子ども大人も同様に必要だと思っています。

呼び方は、どんな言葉でもいいです。

価値、居場所、承認、活躍、愛

実体験が大事〜

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