前回は、以下の記事でルールが人間関係づくりに与える影響を書きました。
今回は、学校のルールが子どもたちに及ぼす影響について。
小学校の時を思い出してください。先生が休みだったりした時に自習の時間ってありませんでした?
自分が思うに、あの自習の時間って、どれだけルールが子どもたちに浸透しているかがわかる時間やなって。
担任というルールが不在の時に、ルールは子どもたち同士の仲で機能する。
黒板にはこう書かれている。
こういう光景よくありましたよね?
これ、問題点があって。あっという間に、3つとも全部終わっちゃう子が必ず何人かいる。
自分もその一人でした。笑
そしたら、自分はひたすら計算ドリルをやってた。
その時に、「あー!計算ドリルやってる!あかんのに!」
と言ってくるやつら。
「なんで?終わったからいいやん」
「やっていいって書いてないもん」
そして、後日担任が来た時に、確認される。
「〇〇くんが、計算ドリルやってました!」
その時の担任は、いいよって言ってくれたからなんとか助かったけど、
内心は複雑。よく覚えているなぁ、この光景。
その、暗黙のルールや同調圧力の実行者は確かに子どもかもしれない。
けど、間違いなく影の支配者は、大人。
思えば、学校ってルールや決まり事だらけで。
ブラック校則などわかりやすく理不尽なものはもちろんのこと
- 硬い椅子に座らされる
- 体育座りを強要される
- 休み時間に外で遊ばされる
- 牛乳を注文させられる
- ベル着
- 整列
- テストや成績
- 鉛筆など文房具の決まり
- ロッカーの使い方
- 挨拶の仕方
- 自分がされて嫌なことを人にしない
などなど。
こういったルールが、めーーーーちゃある。こんなんめちゃ一部。
いや、ルールがありすぎたり、その内容の問題もそうやけど、
それが、子どもたちの関係づくりに影響されているってことを今回は強調したい。
さっきの計算ドリルの例もそうやけど、全くもって問題のない行動でさえも追求される。
ルールに従えなかったり、はみ出したりするやつは、悪なんだ。
そう、そういう奴はダメな人間なんだ。それを注意するのは正しいことなんだ。
そう思っちゃう。
頼むから、子どもたちを「おとなルール」の内側にとどめさせないでおくれ。
子どもは、遊びや関わりの中で自分たちで決まり事を作る。勝手に。
それは、子どもたち自身から出た発想で作られるべきもの。
そこの決まり事やだなぁって思ったら、そこにいなくていい。
そうやって、自分の心地よい関わりや仲間、遊びを見つけ出していく。
もちろん、そのクラスや学年の中に、見つからなくてもいい。
心地良い関係なんて、そう簡単に見つかるわけないさー。
大人は集団を統制したくなる。それが最優先事項だと思っちゃう。一人一人の価値観よりも秩序が大事。
いじめたのは確かに、子どもかもしれない。
けど、その子どもはなぜいじめたのか。
それを考えないといけない。
「家庭(親)の問題です」
いや違います。
「学校の責任です」
いや違います。
「その子どもたちに関わる全ての大人の問題です」
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