人は、なぜコンプレックスを持つのか。
人は、社会的な生き物であるがゆえに、コンプレックスを持つと考えています。
「社会的」とは、人と確かに繋がっていたいということです。
人は、みんなと違うことを極端に恐れます。
人と近しい存在であるように思う、オランウータンは
一生のほとんどを樹上で孤独に過ごすそうです。
その理由として考えられているのが、食べ物です。
オランウータンが食べる果実は、実る回数や量が少なく
群れで過ごしていると、飢えでみんな死んでしまうというのです。
だからこそ、群れずに、孤独に暮らすわけです。
まさに、生きるために「孤独」
人間は、その逆です。
孤独は、死を意味します。
生きるために、「群れる」のです。
そのことから考えると、
みんなと一緒であるということは
生存本能に組み込まれている非常に重要な要素なのかもしれません。
「みんなと違う」ということに対する恐れは
そこからきているのかもしれません。
「みんなより背が低い」「みんなより頭が悪い」「みんなより貧乏」
「みんなより足が遅い」「みんなより不細工」「みんなより・・・」
ここでいいう「みんな」とは
必ずしも、大多数を表しているわけではなく、
その人の主観的世界が作り出した「みんな」です。
自分の身近な、友達や家族、そしてテレビの世界やスマホの世界
そういったところから仕入れた小さな主観的世界という枠組みの中にある「みんな」
そこから、コンプレックスは生まれます。
みんなとの違いに悩み、苦しみます。
しかし、それは、社会的であるがゆえの苦しみなのかもしれません。
コンプレックスがなければ、人類は生き残れなかったのかもしれません。
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