臨床心理学に対する批判

日本社会臨床学会

日本臨床心理学会は1991年に,臨床心理士の国家資格に協力すべきか否かで二つの立場に別れ,

「否」を主張した側が脱会して,1993年に日本社会臨床学会を設立した。

日本社会臨床学会は,『社会・文化の中の「臨床」という営みを点検・考察し,さらにそのあり方を模索することを目的として発足した。以降,今の時代を生きる人間の悩みや想い,その背後にある社会の矛盾や問題を,さまざまな領域や立場の人々が共に自由に考え合える場を作り出すことを目指して活動を続けてきた。(中略)会員の多くは医療・教育・福祉といった現場の労働者・利用者,関心を寄せる人です。大学等の研究者もいますが,その専門領域は多様です。既存の専門分野・領域を共通点として集う場所ではなく,差別や優生思想の問題,資格・専門性を疑う視点等にこだわりながら日常を暮らしている人々が共に考えることを求めて集う場所となっています』

(日本社会臨床学会第VIII期運営委員会・2008年6月8日)

小沢牧子

(洋泉社,2002,「心の専門家」はいらないより抜粋)

1937年生まれ。臨床心理学論,子ども・家族論専攻。いくつかの職場を経たのち,和光大学,千葉県立衛生短期大学,文化学院専攻科の非常勤講師として,臨床心理学,教育心理学,家族論などを講じ,また国民教育文化総合研究所の運営委員,研究委員をつとめた。現在フリーの研究・著述業。元日本社会臨床学会運営委員。小沢は,著書,『「心の専門家」はいらない』(2002),「心を商品化する社会」(2004),『「心のノート」を読み解く』で,臨床心理学や心主義ともいえる社会に対して疑問と批判の声を投げかけている。

洋泉社,2002,「心の専門家」はいらないより抜粋

 

小沢は,元々臨床心理学を学んでおり,その道で15年ほど実践,研究に携わっていた。当時の自分を振り返って,小沢は,『専門領域というのは一種のタコつぼであり,研究者は小さく切り取られた課題に関心を集中し,海の中の様子には目もくれずにタコつぼのなかを楽しんでしまう危険のなかにある。たとえその行為が海を汚すことにつながっていたとして,そのことにうすうす気づいても,タコつぼの外を見ようとはしない。汚染がひろがって迷惑を被る人がふえていっても,自分のタコつぼとは無縁のことだと思いたがる。問題を見ることは自分の位置を危うくするからである。その結果,社会的な視野,つまり生活している人間としての全体的な視野を失ってしまいがちになるのである。さらに自分がいったん専門性といわれるものを身につけてしまうと,その自分は指導者同業者に歓迎され,社会の「多数派」に受け入れられ認められ,また自分のオタク的研究心を充たしてくれる対象ともなるので,かんたんには離れられなくなる。テスト場面で「こんな気味の悪いテストやりたくなかった」と感想を述べた被験者にもわたしは出会ったが,その種の感想に対しては,「ショックを受けやすい傾向のクライエント」などの一方的な解釈が「する側」には用意されている。この解釈が専門家を護るしくみとなっており,都合のよい解釈につい依存してしまう自分の逃げがあった』と述べ,自然科学者の湯浅欽史が,「いったん身につけた専門性を問うということは,自分の敷いている座布団を自分で引き剥がそうとする困難がある。」(『臨床心理学研究』二十五巻一号)という意見を述べたことについて,同意の旨を表している。

小沢は,元々は臨床心理士として,心理テスト,特にロールシャッハ・テストに尽力し,関連の書籍も出している。その小沢が,現在は臨床心理学論という独自のスタイルを保持し,臨床心理学に批判を投げかけている。外側からの批判ではなく,元々臨床心理学に携わっていたという点で,小沢の主張に触れることは,心理臨床家を目指すものにとって,重要となるのではないだろうか。

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