ミヒャエル・エンデ「モモ」に見るカウンセリングの世界

ミヒャエル・エンデ「モモ」の ストーリー

とある街に「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちが現れる。彼らは、今の時間を貯蓄することで、未来の生活を華やかにしないかということをみんなに伝え、人々から時間を盗んでいく。

そして、次第に皆は、せかせかと過ごすようになり、心から余裕が消えてしまう。しかし貧しくとも友人の話に耳を傾け、その人自身をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女モモが、冒険のなかで奪われた時間を取り戻すというストーリー。

 

人のことを受け止めることの神髄

モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。
モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。
ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。
その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。
するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、
すうっとうかびあがってくるのです。

モモには、何もないけれど、時間だけはたっぷりある。

その人のことを急かす必要もないし、自分自身も焦る必要がない。

カウンセラーをこの世から無くしたいと思っている理由は、失われたものを取り戻したいからです。

人の話を聞くのに、本来、理論も技術もいらないでしょうねぇ。

時間をお金で買う

時間をケチケチすることで、
ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、
だれひとり気がついていないようでした。
じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、
日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。
でも、それをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。というのは、
子どもにかまってくれる時間のあるおとなが、もうひとりもいなくなってしまったからです。
けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。
そして人のいのちは心を住みかとしているのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。

「忙しさから職業は誕生する」のだと、改めて思いました。

自分でできることをお金で買うんですね。

時間をお金で買うという言葉は、比喩的である一方、核心をついている言葉でもあります。

しかし、お金で買っていいものと、買ってはいけないものがあることがあります。

それは、愛につながることですね。

料理や会話、遊び、子育てもお金で買うことはできますが

子どもたちの健やかな成長のためには、お金で買わないほうがいいものです。

時間をお金で買っていることに、もっと敏感になる必要があります。

子どもに、本当に必要なこと

そこで各地区ごとに、<子どもの家>と呼ばれる施設がたてられました。
大きな建物で、めんどうをみてくれる人のない子どもはぜんぶ、
ここに収容されなくてはいけないことになり、親が手のあいたときに家につれてかえります。
こういうところでなにかじぶんで遊びを工夫することなど、もちろんゆるされるはずもありません。
遊びをきめるのは監督のおとなで、
しかもその遊びときたら、なにか役に立つことをおぼえさせるためのものばかりです。
こうして子どもたちは、ほかのあることをわすれてゆきました。
ほかのあること、つまりそれは、たのしいと思うこと、むちゅうになること、夢見ることです。

楽しい、嬉しい、悲しいという感情を育てること

その延長に、夢や希望を見ること。

感情がなければ、イメージは育たず、夢を描くことはできない。

便利で役立つことは、確かに魅力的。

しかし、合理的であることは、答えに一直線であるということ。

答えを教えるために、大人がいるわけではなく、

新しい問題を創造するために、大人がいるのです。

 

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