企業が学生を採用する際に重視した点
3年前のデータになるが、実に10年間、コミュニケーション能力が1位
では、コミュニケーション能力とは、一体なんなのか
- 話を聴く力
- 上手に相手に伝える力
- プレゼンテーション能力
- 説得する力
- 語学力
- 全部、正解な気もするし、これだけでは足りない気もする…
僕は、内田樹さんの考え方が好きですが、コミュニケーションについては、こう言われています
コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときにそこから抜け出す力だということである。
この定義は、自分も納得します。
少し例をあげて、イメージしてほしいです。
例えば、細い道を車で運転中に、対向車があらわれたとします。どちらかが、バックして譲らないと
どう考えても、通ることができない。
こういったことを経験することって多いですよね。
そのときに、どちらが譲るのかということは、どうやって決めますか?
みなさんなら、どうでしょう?
答えは、明確だと思います。
「譲りやすい方が譲る」
当たり前ですね。笑
譲りやすい方というのは、「状況」によります。
運転が上手い方、道的に下がりやすい方、後続車がいないほう、すれちがうための道幅に近いほうなどなど
しかし、ここでさらに問題を悪化させる、おじゃま虫がでてきます。
それは、あいつが悪いとか、こっちが急いでいるとか、むこうがいきなり近づいてきたとかいう
個人の「感情」や、「都合」です。これがあるとうまくいきません。
「譲りやすいほうが譲る」という一見当たり前で
とても簡単なように思えることでも
そういったおじゃま虫が登場すると、うまくできないのです。
コミュニケーション場面でも、こういったことが多々あります
相手とのコミュニケーションがうまくいかない場合
「あいつの言ってる意味がわからん」「何度いってもつたわらない」
という文句がでてきます。
発達障がいの方と支援者(親、教師、カウンセラー、保育士など)がコミュニケーションをとる場合
もし、そこに問題が生じたら、発達障がいを持っている人が「悪い」になるのでしょうか
あの子に、コミュニケーション能力がないから、意思疎通できなかったになるでしょうか
「工夫できるほうが、工夫する」
これって当たり前のことではないですか
「譲りやすいほうが譲る」
「わかっている人が、わかっていない人に教える」
特に、明らかな能力面での差異があるとき(大人と子ども、定型と非定型)
どちらが歩み寄らなければいけないかは歴然です
コミュニケーション場面で、問題が生じる大きな理由は
多くの人が、「自分のコミュニケーションに問題がない」と思っているからではないでしょうか
「自分、人前では話すの苦手やから」
「人見知りやから」
というレベルでの自覚はあっても、
コミュニケーションというものが、本質的にはどういったもので
自分が、そのことについて工夫する術を持っているかどうか
術以前に、そういう心がけや思いやりをもてているかどうか
それを理解した上で、自分のコミュニケーション能力を認知できている人が
少ないように思えます。
簡単に言ったら、「自分の言っている(考えていること)ことは間違いない」
と思いすぎていないかということですね
英語や中国語などの語学を勉強しようとする人はいても、
コミュニケーション能力をあげようと努力する人は、少ないのかもしれません。
それって、他者に譲ったり、教えたり、叱ったり、自分を省みたりする力だと思うのです。
長くなったので、今日はこれまで…
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