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前回は、以下の内容で締めくくった。
もし、各企業が、大学3、4回生の就職活動の時期ではなく
赤ん坊の頃に、社員を採用できるとするならば、将来社員となる子どもたちに、
何を投資し、何を学ばせるであろう。
そもそもどのような職業、性格、能力の親のもと生まれた子どもを採用するだろうか。
親や学校を介さず、子どもと企業が直接結びつくシステムであれば
もっと多様な価値が当たり前に存在し、認められる社会が来るだろうか。
この考えは、洗脳につながるため、自分で選択ができるように
基本的な学習や様々な経験値を得た上で、自分自身のキャリアを積み上げていく。
その一つが、就職であるため、直接企業が、幼少期から人を育てることは問題である。
という意見があるかもしれない。あくまでも個人の主体性が大事であると。
確かに、一部のアスリートやアーティスト、そして伝統芸能などの家系は、このような
特殊な状況に近い環境で、子どもを育てていることもあると思われるが、
基本的には、親や学校は、ある特定の職業を想定して、子育てをするわけではない、
むしろその逆である。
塾に入れて、成績をあげて、偏差値の高い大学に入ってほしい。
いい大学に入るのは、もちろんその後就職に有利になるようにするためであり
つまりは、少しでも人生の選択肢を広げてほしいという願いのもと、子育てをしているのである。
将来の夢や目的が、幼い頃から見つかる子どもは少ない。
最近は、テレビでも「子ども博士」と称され、大人どころか、専門家顔負けの子どもが出演していることも多くなってきているが、それはごく一部の話である。
幼い頃から特定の分野に興味を持ち続け、将来の仕事に活かすことができるまで追求し続けることは難しい。
親の愛情として、夢や目的がないのであれば、将来困ることにならないように、安定した職業や社会的地位が高い職業などに就かせるために、良い学校に進ませようとするのは、わからなくもない。
しかし、選択肢が広がることが必ずしも、幸せなこととは限らないし
むしろこ、主体性という観点からすると、真逆の方向に進んでいっているようにも見える。
自分の人生を、いつまでも自分で舵取りできず、多くの人が歩む無難な道を選ぶことは自分の人生を見つめたときに、虚無的に感じるかもしれない。
本来、そこに価値と呼べるものがないものを、価値あるものと錯覚し
親や周りの大人が提供し続けることは、とても怖いことのように思う。
今、どれだけの親や教師が自分が歩んできた人生を、価値あるものとして
堂々と子どもたちに伝えることができるだろうか。
続く
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