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人が集団生活・社会生活を送る中で必須のこととして、規律やルールがあります。
また、どのような集団・社会が望ましいかということを考えていくと、
個人としては、どのような振る舞いが望ましいかということに繋がっていきます。
そうすると、一定の価値基準というものが生まれていくのは自然なことです。
ただ、その価値こそが、人を苦しめるものとなっているのです。
今日は、そのことについて何回かに分けて話したいと思います。
この仕事をしていると
「どうやったら不登校がなくなるのか」
「どうすれば、こどもの自死がなくなるのか」
という質問を受けたり、自分自身が考えたりすることがよくあります。
このブログを読んでくださっている方にも、お聞きしたいくらいです。
どうすればなくなると思いますか?
一つの何かがなくなることって、そもそも、どういう時に起こるんでしょうね。
なんか哲学的な話になってきましたが
おそらくそれは、不要になった時。多くの人がもうそれを求めなくなった時。
それに価値がなくなった、注目されなくなった時ってことですかね。
例えば、お金。
電子マネーが普及していくと、現金が不要になってくる。
その時、本来の目的である、物を買うという行為に対しての価値がなくなってきて
一部コレクターのような人には、求められたとしても
現金を保持しようとする人は少なくなっていくかもしれません。
では、不登校とか自死の価値がなくなるってどういうことですかね。
不登校にならなくても、元気でいられる
死ななくても、元気でいられる
ってことでしょうか。
ここでは、元気という言葉を使いましたが、
楽とか幸せとかの言葉がいいのかもしれません。
要は、マジョリティがいる空間にいてもしんどくならないってことですかね。
この筋で、合っているのかな。笑
ちょっと、話したいこととしてはずれていますが、
次回は、話したいことを書きたいと思います。
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