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思考停止という言葉

 

最近、SNS上で

 

「思考停止」という言葉をよく目にするんですけど

 

なんか、なんとも言えないくらい嫌な気持ちになってたんですよね…

 

 

 

なので、自分なりに、なぜそうなるのかを考えてみました

自分が何に対して嫌な気持ちになっているかを確認することって

大事なんだぁと、このことを考えているうちに、

改めて思い出しました

 

 

そもそも思考停止って、どんな意味なのか

調べてみたところ

辞典にのっているような言葉ではないのですね。そんな気はしましたが。

 

はてなダイアリーでは、こうのっていました

考えるのをやめること。

あるいは、あることに対する判断を放棄して、既成の判断を無批判に受け入れること。

 

なるほど

 

使われる場面としては

基本的に、きちんと論証する手間を省いて「自分は正しく、相手は間違っている」ということを簡潔に訴えるために使われる手抜きのための用語。「相手の異論は絶対、間違いであるのに対して、自分は絶対、正論である。つまり自分や相手が、一般常識と世間から見て論理的で無く矛盾した発言をしているのにただ感情的に正論と、物事をきちんと判断できない人達を指す時に使用する」

 

なるほど。

 

嫌な気分になるわけですね。

 

そもそも思考とは

「考えること」

停止とは

「していたことを一時やめること」

 

なので、思考停止の意味をそのままくっつけると

 

「考えてたけど、一時休憩」

っていう意味なんですね。

 

たぶん、

思考停止を普段使っている人は、

こういう意味で使いたいわけじゃないでしょう

 

「何も考えていない人」に向けた批判をしたいと思うので

「思考皆無」

 

のほうが近いかもしれませんね

 

 

まぁ言葉遊びはさておき

 

なぜ、こうまでも、否定や批判をしたい人が溢れているのでしょうか

 

もしくは、自分が正しいと言いたいのでしょうか

 

 

「なるほど。あなたは、そういう考え方ですか。私はこういう考え方です」

 

と、どうしてこうならないのでしょう

 

目的が同じであるとすれば

 

「わたしは、こちらの道から行きます。ほぉ。あなたはそちらの道を行くのですね。

ゴール地点で、お会いできたらいいですね」

 

でいいんじゃない。

「そちらの道は、正しくない。わたしと同じ、こちらの道でいきましょう」

 

それは、信頼関係があれば成立するかもしれないですが

 

そうでない人に言っても、嫌な気分にしかならないでしょうね

 

 

もし、批判する理由がその人の思考や行動を変えたいのということであれば

その人の保護者や養育者、近親者でない限り

「あなたは間違っていますよ」

と批判したところで、変化をする可能性は少ないし

それどころか、大きな反発をくらうだけでしょう

 

他者が他者の思考や行動にもし影響を与えることができるとすれば

 

それは、「気づき」だと思うんですよね。

 

その人の思想を行動で体現していき

それを見たり触れたりする人が

心を動かすかどうか

 

「北風と太陽」のような

 

 

人の考えや信念、行動を「簡潔に」は否定できない

 

物凄い労力がいる

 

 

それを、思考停止をはじめとする、乱暴な言葉でなんとかしようとするから

また、様々な歪みがうまれてくる

 

 

ほかの誰かを否定することと

自分を肯定すること

 

その目的が、一緒なのであれば

 

「自分を肯定すること」

 

をとりたいですね

 

 

ちなみに、苫米地英人さんの「思考停止という病」という書籍は

とても面白いので

またご紹介させてもらいます。笑

 

 

 

 

 

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