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人が「人間」である理由

人間という言葉は、もともと

「人と人との間」→「世間」「社会」を表していたといいます。

つまり、個だけを表すのではなく、全体を表しているんですね。

 

人は、なぜ他者を傷つけるような残酷な事件を起こしたり、

自分を傷つけたり、自殺したり、引きこもったりするのでしょうか。

 

人は、先天的にも後天的に「変わっている」人はいます。

コミュニケーションが取りづらかったり、知能が低かったり、障害を持っていたり。

その人たちは、様々なことばで呼ばれます。

全て、人間が作ったことばです。

たまたま、世の中における多数決では負けてしまっている「マイノリティ」なだけで

同じ人間です。

 

人間であるからこそ、誰かと関わりたい・認められたいという気持ちはあります。

けれども、マジョリティがルールを作っている世の中では

マイノリティの人たちは、そのルールを守り切ること(ルールマラソン)ができずに

一人、また一人と脱落していきます。

 

誰かと関わりたい・認められたいなら、こう振舞え!

というマジョリティルールは、人間の中に、はびこっています。

そうやって、ルールマラソンを完走した人が、普通に大学に行き、普通に仕事に就ける人たちです。

完走できない人は、

休憩(社会的引きこもり)したり

別のコースを走ったり(マイノリティルール)

走ることをやめたり(自殺・他殺・社会的死)します。

 

マイノリティルールの覇者が、世の中のトップに君臨したり

新しいことを生み出す先駆者だったりします。

 

しかし、マジョリティが目指すのはそこではありません。

トップを目指すのではなく、マジョリティは常に、マジョリティを目指すのです。

 

私たち人間は、弱く、誰もがルールやつながりを求めています。

コミュニケーションが苦手なだけであって、関わることを求めていないわけではないのです。

どこかで傷つき、諦めているだけなのです。

 

学校でも、小動物を虐待する子どもがいたりします。

関わってみると、確かに関わり方が難しく、工夫がいることがわかります。

その子は、「友達が欲しい」と言いました。

「今は、先生たちがいるからいいけど、卒業したら心配だ」と。

関わること・認められることに満足しているときは、虐待行為などは出てきません。

工夫できる力をもった側が、工夫してください。

 

マジョリティが得意とすることに、「調和」があります。

どこかで悲しい事件のニュースを聞いたときに、

「許せない」ではなく、「明日誰かに優しくしよう」と思ってみてください。

数が多いことは、力です、あなたの些細な行動が、全てを変えます。

 

マイノリティが得意とすることに、「独創」があります。

自分を一人だと思わず、仲間を探し、自分の可能性を最大限に引き出してください。

自分の中の「悪魔」を追い出そうとせず、人間を求めることをやめないでください。

数が少ないことは、価値です。あなたの大きな行動が、全てを変えます。

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