心のノートとは
文部科学省は,「心のノート」については,道徳教育の充実を図る観点から,児童生徒が身に付ける道徳の内容を分かりやすく表し,道徳的価値について,自ら考えるきっかけとし,理解を深めていくことができるような児童生徒用の冊子として,2001年に文部科学省において作成し,すべての小・中学校の児童生徒に配布しているものとしている。「心のノート」は,2002年の4月に,全国の小・中学生全員1100万人への配布を目的とし,教育委員会経由で各学校に届けられた。制作には,7億3000万円をかけている。小沢(2003),三宅(2003)岩川,船橋(2004)は「心のノート」に対して,様々な批判を投げかけている。以下は,その内容をまとめたものである。
文部科学省は心のノート全国配布にあたり,「『心のノート』について(依頼)」(2002年4月22日付)という文書の中で,教科書でも副読本でもない,「補助教材」であると発表した。また,心のノートの試作本を都道府県・政令指定都市の教育委員会宛てに送付した際に柴原弘志文部科学省初等中等教育局教育課程教科調査官名義で出した「『心のノート』の活用に当たって」(平成13年12月10日付)では結びの語で「人間として生きていく上での大いなるプレゼントになり,生かされるものとなるようにしていきたい」と表明した。「心のノート」の作成・配布には1997年(平成9年)の神戸児童連続殺傷事件や1999年(平成11年)栃木女性教師刺殺事件・光市母子殺害事件などの重大な少年犯罪が相次いで発生し,「心の教育」の必要性が強調されるようになってきたことが背景にある。
国会では,1998年に中曽根弘文議員が参議院予算委員会において「副読本などに頼るのではなくて,やはりもっと子どもの心に響く教材を作るべき」と主張,町村信孝文部大臣も「教科書の必要性も含めてさらに検討する」と答弁している。更に2000年3月15日の参議院文教科学委員会での自民党亀井郁夫議員が「道徳の教科書がない」ことを指摘し,道徳の冊子を作るべきではないかと提案し,中曽根弘文文部大臣も「研究して作ったらいいのではないか」と応じたことが作成の直接的な契機となったと日本会議は報告書の中で述べている。その後,心のノートの「作成協力者会議」が組織され,河合隼雄文化庁長官を座長とする10人の委員が作成に深く関与した。ほかにも大学教授4人,小中学校の校長及び教諭93人が編集協力者として参加している。著作権者である文部科学省の編集者は押谷由夫を筆頭とする12人である。完成した心のノートについて押谷は「これで道徳教育が充実しなければ,打つ手はないのではないか,とさえ思ってしまう。」と雑誌『道徳教育』2002年9月号にて述べている。
2013年12月6日、心のノートは全面改訂され、「私たちの道徳」(小学校低・中学年は「わたしたちの道徳」)に名称変更され、翌2014年度から配布されることとなった。
心のノートに対する批判
日本には,教科用図書検定規則というものが存在する。教科用図書検定とは小学校,中学校,中等教育学校,高等学校並びに特別支援学校の小学部・中学部・高等部で使用される教科用図書(教科書)の内容が教科用図書検定基準に適合するかどうかを文部科学大臣(文部科学省)が検定する制度のことである。「心のノート」は,この教科用図書検定を通ることなく,事実上の国定教科書として全国に配布されたことも問題の一つとしてあげられている。また,多額の税金を使っていることも問題視されている。2001年度に約7億3000万円,2003年に約3億8000万円の予算が使われている。それにも関わらず,実際には学校の授業ではほとんど使われずに,学年末に家に持ち帰るだけの場合もある。ただし,2003年度の文部科学省道徳教育推進状況調査では,全国の道徳教育を行っている学校のうち,小学校の97.1%,中学校の90.4%で「心のノート」を使用しているという結果が出ている。しかし,民主党が野党時代に行った今年4月の事業仕分けで「心のノート」は廃止と結論づけた。鳩山政権で行った来年度予算の概算要求では,約3億円をかける全校配布事業を廃止したが,道徳教育の予算組み替え作業のなかで,配布を希望する自治体に財政支援するなど,ノート自体は存続させることにした。
「心のノート」には多くの問いかけが設定されており,一見すると児童・生徒自身に考えさせて答えを出させようとしているように思える。しかし,問いのすぐ後に「答え」が示されている,あるいは暗示されており,誘導尋問と言える。岩川はこれを「思考停止装置」と名付けて批判している。「いい子」であることを求め,ネガティブなものを排除する傾向がある。「心のノート」には,過剰と言えるほど多くの「自己チェック」が設けられ,具体的なチェック項目が羅列されている。ここで問題となるのは,心のケアが欠落し,心の正邪・明暗のチェックをひたすら要求している,ネガティブと見なされる「暗いこと,汚いこと,醜いこと,弱いこと,やりきれないこと,切ないこと」などを排除している,の2点である。後者について岩川は「心の農薬」と呼んで厳しく批判し,ネガティブなものがこの世に存在しないかのように装う姿勢がノート全体を通して貫かれていると述べている。小沢は,「心のノート」が自分の内面に目を向けさせることが強調され,問題意識や批判を封じ込める構成になっていることを指摘している。こうすることで考えること,考えたことをぶつけ合うことがないがしろにされ,横のつながりが「コミュニケーション」という言葉だけの空虚なものになってしまう。横のつながりは,感謝・恩恵という自分を中心とした人間の縦につながる関係に置き換えられ,過度に進めば「君が代」・「日の丸」を軸とする国家主義へとなりかねない,と警告している。
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