承認欲求という魔物①

みなさんは、この動画をご覧になったことがあるでしょうか?

まずは、ご覧になってください。

動画のラットパーク実験や薬物依存について、今回は詳しく触れたいわけではないですが

動画の中にあった、

人はつながりが大事であるということは、まさにその通りであると思います。

学校で、問題を起こす子

その問題が、不登校であれ、非行であれ、自傷行為であれ、

根本的な問題は一緒

人と上手につながることができていないということ

人とは、学校の友達、家族、教員のことですね

世の中に人はもっといっぱいいますが、子どもにとったら

いや、子どもでも大人でも、自分と現在関わりがある人が、

人のすべてなんです

よく、恋人と別れた人に、

「世の中には、星の数ほど人がいるから、また素敵な恋ができるよ」

とアドバイスする人がいます。自分もされたことがあります。笑

けど、そんなの関係ないですからね。現在のことしか考えることができません

話はそれましたが、その人たちと、自分がつながれているか

愛されているか、必要とされているか、そして、認められているか

そこが本当に大事。というよりすべてです。

 

不登校の子で、人間関係が順風満帆な子なんて、出会ったことありません

「うちの子がなぜ不登校になったかわからない。友達もたくさんいる」

という保護者もいますが、本当に、その子自身が、またはまわりが

友達だと思っているかどうかはわかりません。本人にもわかりません。

だから、悩むんです。

 

承認があるところには、必ず人がいて、必ず比較があります。

誰かと比べるんですね。比べる基準がないと自分が、認められているのかどうか

なんていう悩みは起きません。

 

よく、最近は、ほめてのばさないといけないと言いますよね

これって、みなさんどう思いますか?

僕自身としては、あたっているようで、そうでないという感じの印象です

 

問題は、方法ではなく、比較です

世の中や周囲がどうなのかということです

 

例えば、クラスで、全員に対して怖い先生がいたとします

これは、これで、かまわないんです

共通感覚が、子どもたちの中にうまれ、自分だけが怒られているわけじゃないからです

よく子どもたちが言うセリフは、「なんで自分だけ」

じゃないですか?良い方向の、特別感なら問題ないんです。

「自分だけ褒められた」は最高の承認ですね

けど、「自分だけ怒られた」は、最高の否定です

 

人は、常に誰かと比較して生きています

意識的にも、無意識的にも

長くなったので、続く…

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